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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)8075号 判決 1998年12月25日

甲事件原告兼乙事件被告(以下「原告」という)

A

右訴訟代理人弁護士

益満清輝

甲事件被告兼乙事件原告(以下「被告」という)

東久商事株式会社

右代表者代表取締役

楠田道程

甲事件被告兼乙事件原告

楠田道程

右両名訴訟代理人弁護士

西浦一成

西浦一明

乙事件被告(以下「被告」という)

鈴木健弘

右訴訟代理人弁護士

益満清輝

主文

一  被告東久商事株式会社は、原告に対し、二五三万八五二六円及びこれに対する平成八年八月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告東久商事株式会社及び被告楠田道程は、原告に対し、各自五〇万円及びこれに対する平成八年八月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求並びに被告東久商事株式会社及び被告楠田道程の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告東久商事株式会社及び被告楠田道程の負担とする。

五  この判決の第一項及び第二項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

(甲事件)

一  被告東久商事株式会社は、原告に対し、二五四万四七九一円及びこれに対する平成八年八月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告東久商事株式会社(以下「被告会社」という)及び被告楠田道程(以下「被告楠田」という)は、原告に対し、各自三〇〇万円及びこれに対する平成八年八月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(乙事件)

一  原告は、被告会社に対し、三三二万五二九五円及びこれに対する平成七年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告及び被告鈴木健弘(以下「被告鈴木」という)は、各自被告楠田及び被告会社に対し、それぞれ五〇〇万円及びこれに対する平成八年五月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告会社の従業員であった原告鈴木が、被告会社に対し時間外割増賃金の支払を求めるとともに、被告楠田が業務上原告を罵倒し、残業手当を支払わずに残業を強要し、また、出張の際にいわゆるセクシャル・ハラスメント行為をした等として、被告会社及び被告楠田に対し、不法行為に基づく損害賠償請求をした(甲事件)のに対し、被告会社が、原告に対し、同人が業務上の指示に従わなかったため損害が生じたとして、不法行為による損害賠償を求め、被告会社及び被告楠田が、原告及びその父である被告鈴木に対し、本訴提起及びそれに先立つ保全処分の申立てが違法であるとして、不法行為による損害賠償請求をした(乙事件)事案である。

一  当事者間に争いのない事実

1  原告は、平成六年一月三一日に被告会社に雇用され、平成七年八月三一日に退職するまでの間、同社に勤務していた。

2  原告は、平成八年五月一六日、大阪地方裁判所に対し、被告会社を債務者として、左記請求債権の存在を主張して、被告会社の東京三菱銀行船場支店(以下「訴外銀行」という)に対する預金債権の仮差押命令の申立てをした(以下「本件仮差押命令申立て」という)。

平成六年一月三一日から平成七年八月三一日までの未払給与二五四万四七九一円及び慰謝料請求権三〇〇万円(ただし、平成六年秋の北陸出張の際、被告楠田が原告に同室での宿泊を強要した行為等による不法行為に基づく損害賠償請求権)の合計五五四万四七九一円の内金三〇〇万円

3  大阪地方裁判所は、平成八年五月二〇日、本件仮差押命令申立てにつき債権仮差押決定をし、右決定正本は、同月二一日、訴外銀行に送達された。

二  甲事件に関する当事者の主張

1  原告

(一) 未払賃金(時間外割増賃金)

(1) 原告の勤務時間は午前九時三〇分から六時まで(午後〇時から午後一時までは休憩時間)の七・五時間勤務であったところ、原告は、昼休みを毎日二〇分しか取ることができず、午後六時以降も、ほぼ毎日残業を余儀なくされた。また、被告会社は日曜祝日及び第一、第三土曜日が休日であったが、しばしば休日勤務を余儀なくされた。原告が平成六年一月三一日から平成七年八月三一日までの間に行った時間外勤務時間数(休日勤務、深夜勤務を含む)は、別紙1のとおりである。

(2) 原告の給与は、平成六年一月から同年六月までは月額一六万円、同年七月から同年一〇月までは月額一九万円、同年一一月から平成七年七月までは月額二一万円、同年八月は月額二二万五〇〇〇円であった。また、年間所定労働日数は、平成六年は二六六日、平成七年は二六二日であった。

そこで、原告の時間外割増賃金を計算すると、別紙2のとおり合計二五四万四七九一円となる。なお、計算の基礎となる時間当たりの賃金の計算方法は、別紙3のとおりである。

(二) 被告楠田の不法行為

(1) 被告楠田は、業務内容の説明指導を全くしないまま原告に台湾向け輸出業務を担当させ、問題が発生する度に責任を原告に転嫁し、取引先の人の前で大声で怒鳴るなどして原告の名誉を著しく傷つけ、これにより、原告は極度のストレスからノイローゼ状態に陥った。

その具体的内容は、次のとおりである。

ア 原告が入社した数週間後に、方針、取引条件、バイヤーの名前等の最低限度の予備知識も与えずに台湾出張を命じて商談をさせ、原告がミスをすると、バイヤー及びメーカー担当者の前で罵倒した。

イ 平成六年四月、被告楠田に同行して台湾に出張した際、原告が手洗いのため商談中にノートを鞄にしまわずに中座して戻ったところ、同席していたバイヤーらの前で、「鈴木、あんたなに考えてるんや。ノートをそのままにして席を立つやなんて」と罵倒した。

ウ 平成七年五月ころ、被告楠田は、三菱レイヨンの営業担当者が来社中、担当者の面前で約一時間半もの長時間に渡り、右担当者の業務と全く無関係の事項に関して原告を怒鳴り続けた。

エ 平成七年六月、バイヤーに対し原告が被告楠田の指示どおりの対応をしたところ、右バイヤーが被告会社との取引を停止すると言って激怒した件に関し、被告楠田は、「わしは、あんたにそんな対応しろとはいうてへんぞ。鈴木、これどうしてくれるねん」と原告を責め続けた。

オ 平成七年七月、被告楠田の息子に同行して台湾に出張した際、原告が、バイヤーのクレームに対する対応について被告楠田に電話して指示を仰ぐと、「あんたは、バイヤーに一緒の生地やというとけばいいんや」と怒鳴りつけた。

カ 被告楠田は、平成七年二月ころから中国との密貿易を行っていたが、同年一二月に中国事務所を開設するに当たり、原告に中国駐在を何度も打診し、右密貿易に荷担させようとした。

(2) 前項で述べたように、原告に対し、多いときには週二八時間もの残業を、通常でも週二〇時間前後の残業をさせたうえ、休日勤務や海外出張も頻繁に命じながら、タイムカードもない杜撰な労務管理に終始し、時間外割増賃金を一切支払わなかった。

原告は、加重労働により、慢性風邪状態及び神経性胃炎に罹患し、健康を害した。

(3) 被告楠田は、平成六年六月ころ、勤務時間中に原告に自分の孫の子守をさせ、原告の自尊心を著しく傷つけた。

(4) 平成六年一一月四日、原告が被告楠田に同行し、二人で北陸に出張した際、当初予定されていなかったにもかかわらず、強引に温泉街のいわゆる連れ込み旅館での宿泊を決めたうえ、チェックインに際し一部屋しか取らず、原告に対し同室での宿泊を強要した。

(5) 被告楠田の右の各行為は、いずれも原告の人格権を侵害する不法行為であり、これにより原告は重大な精神的苦痛を被った。右精神的苦痛に対する慰謝料は、三〇〇万円が相当である。

また、被告楠田は、被告会社の代表取締役であるところ、右各不法行為は、いずれも被告楠田が職務上行ったものであるから、被告会社は、右被告楠田の不法行為による原告の損害を賠償する義務を負う(商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条)。

2  被告会社及び被告楠田

(一) 未払賃金について

被告会社においては、原則的に残業することを認めておらず、残業命令を出したこともない。また、業務内容も時間内に十分処理ができるものである。仮に原告が遅くまで残っていたとしても、それは業務上の必要性に基づくものとはいえない。したがって、残業手当の請求は理由がない。

海外出張中については、土曜日、日曜日は食事やショッピングなどで自由に過ごすことを認めており、休日勤務手当の請求も理由がない。

(二) 被告楠田の不法行為について

(1) 被告楠田が、全くの未経験者である原告に対し、貿易実務を担当させ、失敗すると罵倒したというような事実は全くない。原告が主張する台湾出張も、原告に経験を積ませるため、被告楠田の出張に同行させたものである。

(2) 被告楠田が、原告に孫の子守をしてもらったことはあるが、これは原告が自ら子守をしてくれたものであって、何ら強要したものではない。

(3) 被告楠田が原告と北陸に出張した際、旅館への案内を頼んだタクシーの運転手が部屋を一部屋しか取っていなかったことがあったが、被告楠田は直ちに原告のためにもう一部屋を用意し、各々別室で宿泊したのであって、被告楠田が原告に同室での宿泊を強要した事実はない。

(4) 被告会社が中国で密貿易を行っている事実はなく、原告に中国駐在を打診したこともない。

三  乙事件に関する当事者の主張

1  被告会社及び被告楠田

(一) 本件仮差押命令申立て

(1) 原告は、被告会社に給与の未払の事実は全くなく、また、被告楠田が原告に対し同室での宿泊を強要した事実も全くないのに、虚偽の事実をねつ造して本件仮差押命令申立てをし、仮差押決定を得た。

また、被告鈴木は、原告の父親として、原告と共謀して本件仮差押命令申立て及びその後の手続を進めた。

右は、被告会社及び被告楠田に対する不法行為を構成する。

(2) 右不法行為により、被告会社及び被告楠田は、それぞれの名誉や社会的信用を著しく侵害され、これを金銭に評価すると、それぞれ五〇〇万円を下ることはない。

(二) 原告の指示違反及び権限逸脱行為

(1) 原告は、被告会社が台湾の昌蓬實業有限公司(以下「昌蓬實業」という)との間で締結した繊維製品の輸出契約(円建て)に関し、平成七年四月一〇日に昌蓬實業からなされた米ドル建てへの変更要請につき、被告楠田がこれに応じるよう指示したにもかかわらず、これに従わずに放置したため、結局、右取引は円建てで決済された。

その結果、被告会社は、米ドル建てで決済された場合と比べ、別表1のとおり、三二七万九六八七円の損害を被った(以下「事例<1>」という)。

(2) 被告会社は、被告会社が昌蓬實業との間で締結した繊維製品の輸出契約(米ドル建て)に関し、平成七年七月二〇日に昌蓬實業からなされた円建てへの変更要請につき、変更に応ずるか否かは被告楠田の専決事項であるにもかかわらず、独断で右変更に応ずる旨返答した。

その結果、被告会社は、米ドル建てで決済された場合と比べ、別表2のとおり、二四一万九六四七円の損害を被った(以下「事例<2>」という)。

(3) 以上は、いずれも、原告が被告会社に対して負う業務を誠実に遂行する義務に違反する行為であって、原告は、被告会社に対し、右損害を賠償する義務を負うから、被告会社は、原告に対し、右損害計五六九万九三三四円のうち三三二万六二九五円の支払を求める。

2  原告及び被告鈴木

(一) 本件仮差押命令申立てについて

本件仮差押命令申立ては、正当なものである。

(二) 原告の指示違反及び権限逸脱行為について

(1) 原告は、業務上の裁量権を全く与えられておらず、すべて被告楠田の指示に従っていたのであり、同被告の指示に従わず、あるいは指示を受けずに独断で米ドル建てから円建てへ変更するなどということはあり得ない。

(2) 被告会社の主張する損害は、船積日のレートで計算している点や、メール・インタレストを差し引いていない点など不正確な点が多く、これらがそのまま被告会社の損害になるとは考えられない。

四  争点

1  被告会社が原告に対し時間外割増賃金を支払う義務があるか。

2  被告楠田が、原告に対し、業務上罵倒するなどの不法行為をしたことがあるか。

3  被告楠田が、北陸出張の際、原告に対し同室での宿泊を強要した事実があるか。

4  原告が、被告楠田の指示を無視し、或いは指示を受けることなく独断で業務を処理し、被告会社に損害を与えた事実があるか。

5  原告の本件仮差押命令申立てが不法行為となるか。

第三争点に対する当裁判所の判断

一  争点1について

1  証拠(略)及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、被告会社において、日常的に昼休みは二〇分程度しかとれなかったうえ、ほぼ毎日午後六時以降もバイヤーからのファックスへの対応やメーカーとの連絡等の仕事のため残業していたこと、特に原告の担当先である台湾は、時差が一時間あるため、遅い時間にファクスが入ることが多かったこと、被告会社では従業員の定着率が悪かったため、従業員が退職した直後などは原告に大きな負担がかかり、長時間残業せざるを得なかったこと、海外出張やバイヤー来日の前は、サンプルの用意やアレンジ等の仕事のため、特に多忙になり、午後一〇時ころまで残業していたこと、バイヤーが来日している間は、原告は、バイヤーとともに営業をして午後六時ころ帰社し、その後エージェントとの折衝等のため午後一〇時ないし一一時ころまで、遅いときには午後一二時過ぎまで残業していたこと、海外出張中は、エージェンシーとの交渉が深夜に及ぶことがあり、土曜日や日曜日も被告楠田に同行してデパート等の商品の視察に行くことが多かったこと、海外出張をした場合も、出張手当等通常の給与以外の手当の支給は全くなかったこと、以上の事実が認められる。

以上の事実によれば、原告は、被告会社に勤務していた期間、相当時間の残業をしていたことは明らかである。被告会社はこれを否定し、被告楠田本人も一部これに沿う供述をするが、一方、同人の供述によれば、被告会社にはタイムカードその他従業員の出退勤時間を管理するものはなく、被告楠田も通常夕方には会社を出て営業活動に出かけるためその後の従業員の勤務状況を知る立場になかったことが明らかであるから、被告楠田が、従業員の残業の実態を把握していたとは到底認められない。また、被告楠田は、従業員に対し午後六時には帰るように指示していたと供述するが、従業員の残業を禁じた形跡は認められないのであって、むしろ、被告楠田の息子が原告が午後八時ころまで残っているのを目撃したことがあったことは被告楠田自身認めているところであるし、(書証略)のファックス送信時間の記録を見ても、午後七時半ころに被告会社と取引先との間でファックスのやりとりが行われていたことが認められるのであって、被告会社において残業が行われていなかったとは到底いいがたい。

もっとも、原告が相当時間残業していたことが認められるものの、原告がその時間数を示すものとして提出するのは、原告が退職後に作成した(書証略)のみであって、正確な時間を認定するに足りる客観的な証拠は存在しない。しかしながら、原告本人によれば、(書証略)は、メモに基づいて勤務状況を思い出しながら、通常勤務日、バイヤー来日前、バイヤー来日中、海外出張中などのパターンごとに均一時間数残業したものとして作成されたものであって、(書証略)及び原告本人によれば、それぞれの時間数には一応の根拠があることが認められ、他方で、これらの記載の信用性を疑わせる積極的な証拠は存在しない(なお、被告は、原告は平成七年四月一〇、一一日に欠勤していた旨主張し、これに沿う(書証略)も存在するが、(書証略)には、原告が同日ファックス返信をした形跡もあり、また、原告本人によれば原告が日中席にいないことも多かったことが認められるから、右証拠によって原告が四月一〇日に欠勤していたものと認めるのは困難である。このことは、(書証略)についても同様である)。また(書証略)は、いずれも一定の期間については毎日同一の時間数が記録されており、これが実体を正確に反映しているとはいい難い面は否定できないものの、被告会社が従業員の出退勤の管理をしていなかったことを考慮すると、ある程度平均化された大雑把な捉え方になるのもやむを得ないところである。また、そもそも、正確な労働時間数が不明であるのは、出退勤を管理していなかった被告会社の責任であるともいえるのであるから、正確な残業時間が不明であるからといって原告の時間外割増賃金の請求を棄却するのは相当でない。これらの事情を考慮すると、本件では、(書証略)に記載された時間原告が残業したものとして、割増賃金額を算定するのが相当である。

2  被告会社における原告の勤務時間が午前九時三〇分から午後六時まで(午後〇時から午後一時までは昼休み)であること、被告会社の休日が日曜、祝日及び第一、三土曜日であること、被告会社の所定労働日数が、平成六年は二六六日、平成七年は二六二日であることは、いずれも弁論の全趣旨によって認められる。

また、原告の給与が、平成六年一月から同年六月までは月額一六万円、同年七月から同年一〇月までは月額一九万円、同年一一月から平成七年七月までは月額二一万円、同年八月は月額二二万五〇〇〇円であったことは、(書証略)により認められる。

3  そこで、原告の請求することのできる時間外割増賃金の額を計算すると、別紙4のとおり、二五三万八五二六円となる(計算方法は、別紙2と同様の計算によるが、原告の別紙1記載の時間数のうち、NO6-11に週間法定労働超過時間数として一時間二〇分との記載がある点については、なぜ二〇分の超過時間が生ずるのか判然としないので、この二〇分は計算から除外した。また、別紙2の平成六年一一月一日から同年一二月三一日までの通常日の超過勤務時間数は、(書証略)によれば一七七時間であると考えられるから、一七七時間で計算した)。

なお、原告の請求する時間外割増賃金には、いわゆる法内超勤部分が含まれるが、被告会社においては勤務時間及び休日の定めがあり、被告楠田本人尋問の結果を総合すると、被告会社は、これら所定労働時間を超えて残業した場合には残業手当を支払うべきことを自認しているものと解されるから、被告会社は、法内超勤部分についても割増賃金の支払義務があるというべきである。

二  争点2について

1  まず、被告楠田は、原告に長時間の残業を余儀なくさせていたにもかかわらず、従業員の出退勤の把握をしようとせず、一年半もの長期間にわたり時間外割増賃金を一切支払わなかったのであって、右は、債務不履行にとどまらず、不法行為を構成するというべきである。

そして、被告楠田及び被告会社は、右不法行為によって原告が被った精神的苦痛に対し、慰謝料を支払う義務があるというべきである(商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条)が、原告の精神的苦痛は、時間外割増賃金の支払を受けることによって相当程度慰謝されるものと考えられるから、右慰謝料は、五〇万円が相当である。

2  さらに、原告は、被告楠田が原告に対し予備知識も与えずに実務を担当させ、失敗すると罵倒を繰り返したことなどが、不法行為に該当する旨主張する。しかしながら、従業員にいかなる方法で実務を修得させるかといった事項は、基本的には使用者の裁量に委ねられていることがらであるし、その過程で使用者が従業員を叱責することがあったとしても、そのことが直ちに不法行為になるものでもない。むろん、その叱責の程度が社会的相当性の範囲を超え、不当に従業員の人格権を侵害するものであれば、不法行為に該当することもあり得るが、本件において、被告楠田の行為がその程度に達していたことを認めるに足りる証拠はない。

なお、原告は、被告楠田の行為によってノイローゼ状態になったとし、自律神経失調症によって治療を受けた旨の診断書(書証略)を提出するが、右診断書によれば、原告が治療を受けたのは平成八年一一月二七日以降であって、原告が被告会社を退職してから一年以上経過した後のことであるから、原告の右症状が被告楠田の行為によるものであると認めることはできない。

したがって、この点に関する原告の主張は理由がない。

3  なお、原告は、被告楠田が原告に孫の子守をさせたことも不法行為に該当すると主張するようであるが、仮にかかる行為が原告に不快感を与えたとしても、それが不法行為に該当するとはいえない。また、被告楠田が原告に密貿易を担当させようとしたとも主張するが、かかる事実を認めるに足りる証拠はない。

三  争点3について

1  証拠(書証略、原告本人、被告楠田本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 被告楠田は、平成六年一一月四日、原告と二人で福井市に出張し、取引先を訪問した後、タクシーの車内で、原告に対し、「せっかく温泉町の近くまで来たんやから、どっか豪華な旅館に泊まってうまいもんでも食おうや」と提案した。原告がこれに反対しなかったことから、被告楠田は、タクシーの運転手に対し、芦原温泉の適当な旅館に案内するように依頼した。

(二) その後、芦原温泉街の旅館「米和」の前で運転手がタクシーを停め、まず運転手が旅館に入って空室の有無を確かめ、戻ってきたので、被告楠田及び原告は、米和に入った。そして、米和の仲居が二人を部屋まで案内したところ、部屋が一部屋しか用意されていなかったため、これに気付いた原告は、被告楠田に対し、「一部屋だけとはどういうことですか。私の部屋も取って下さい。そうでなければ今すぐ帰ります」と抗議したところ、被告楠田は、冗談のつもりで、「二部屋では高くつくがな。ここで一緒に寝たらいいがな」と答えた。しかし、原告がなおも別の部屋をとることを要求したため、被告楠田は、フロントへ行って原告のための部屋を取った。

(三) その後、被告楠田は原告を誘って浴場へ行き、それぞれ男女別の大浴場で入浴をすませた後、食事が被告楠田の部屋に運ばれたため、被告楠田と原告は被告楠田の部屋で一緒に食事をとった。

また、被告楠田及び原告は、翌一一月五日に福井県大野市にある得意先を訪問し、さらに福井市内に一泊した後、一一月六日には、得意先の案内で紅葉見物をし、大阪に帰った。

2  以上の事実によれば、米和旅館において部屋が一部屋しか用意されていなかったことは認められるものの、これが被告楠田の故意によるものであると断定することはできないというべきである。この点、原告本人は、被告楠田と駅前ロータリーでタクシーを降り、観光案内所に行ったが閉まっていたので、徒歩で旅館を探し、チェックインは被告楠田がした旨供述し、被告楠田本人は、タクシーの運転手が旅館を探し、運転手が旅館から出て来た後に原告を伴って旅館に入ると、仲居に直ちに部屋に案内された旨供述する。この両者の供述を比較すると、原告本人の供述は、会社の社長が従業員を伴って旅館を探す際の行動としてはいささか不自然であるうえ、(書証略)(原告の陳述書)に「タクシーで米和旅館に乗りつけた」と記載されていることとも矛盾するのに対し、被告楠田本人の供述する内容は、不自然な点がより少ないと考えられる。また、被告楠田が原告の抗議により簡単にもう一部屋取っていること、原告と部屋で二人だけで食事をした際も含め、その後原告に対し同種の行為に出た形跡が全くないことは、被告楠田が故意に一部屋しか取らず、原告に同室での宿泊を強要したとすればやや不自然である。これらの事情を考慮すると、被告楠田本人が供述するように、旅館側が一部屋しか用意しなかったため、これに乗じた被告楠田が、原告に対し、冗談で「ここで一緒に寝ればいいがな」と発言したと解するのが相当である。

右被告楠田の発言は、たとえ冗談のつもりであったとしても、その場の状況及び社長と一社員という両者の関係を考慮すると、極めて不謹慎な発言であり、これにより原告が不快感ないし不安感を催したことは容易に想像できることであるが、前述したような経緯に照らせば、これが不法行為になるとまではいい難いというべきである。

四  争点4について

1  事例<1>について

証拠(略)によれば、原告は、担当先の昌蓬實業から、平成七年四月一〇日、一部契約につき、円建てから米ドル建てへの変更依頼を受けたこと、原告は、同社に対し、被告楠田と相談してからでなければ回答できないが、同人と連絡がつかないため、もうしばらく待って欲しい旨回答したこと、同月一三日、昌蓬實業は、被告楠田に対し、右契約については、円建てのまま決済する旨連絡し、実行されたことがそれぞれ認められる。しかしながら、これが、原告のミスによるものであると認めるに足りる証拠はなく、かえって、(書証略)によれば、被告楠田が昌蓬實業に電話をするのを忘れた結果であることが推認されるから、被告会社の主張は理由がない。

2  事例<2>について

証拠(書証略、被告楠田本人)によれば、原告は、平成七年七月二〇日、担当先の昌蓬實業から、一部契約につき米ドル建てから円建てへの変更依頼を受けたこと、これに対し、原告は、同日、同社に対し、依頼の一部について変更に応ずる旨返答したこと、ただし、その際変更日のレートによるべきところを、契約時のレートで計算したため、被告会社に損害が生じたことがそれぞれ認められる。しかしながら、原告が独断で右変更に応じたことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、(書証略)によれば、原告のした回答は要求の一部については変更に応じないといった込み入ったもので、決済レートの変更などは被告楠田の専決事項であって、従業員に任されることはなかったという被告会社の実情(このことは、原告本人、被告楠田本人により明らかである)に鑑みると、原告が独断で変更に応じたとはにわかに考え難い。また、被告楠田本人は、変更時のレートであれば変更に応ずること自体は問題がない旨供述していることからすれば、そもそも被告会社が主張する損害がすべて原告の行為によるものともいえないはずである。

3  したがって、争点4に関する被告会社の主張はいずれも理由がない。

五  争点5について

以上のとおり、原告の時間外割増賃金の請求は理由があるもので、また、争点3について認定した事実に照らせば、北陸出張の際の被告楠田の言動について、原告が不法行為に該当すると考えたこともやむを得ないことであるから、本件仮差押申立てが不法行為になるとする被告会社及び被告楠田の主張は理由がない。

六  結論

以上の次第で、原告の請求は、被告会社に対し時間外割増賃金二五三万八五二六円、被告会社及び被告楠田に対し、慰謝料五〇万円の支払を求める限度で理由があるから認容し、被告会社及び被告楠田の請求は、理由がないからいずれも棄却する。

(裁判官 谷口安史)

別紙・別表(略)

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